こんにちは、兵庫のそうとみさとです🕊
今回は、夏に行われた「高校生平和集会in長崎」についてご紹介します!
「高校生平和集会in長崎」ってなに?
高校生平和集会とは、高校生平和大使のこれまでの成果をふまえ、活動を継続し、さらに飛躍させていくために、全国の高校生平和大使、長崎派遣メンバー、高校生平和大使サポーターが集まって開催する集会です!
「高校生平和集会in長崎」では、どんな活動をしたの?
<日時>
2021年8月7日~8月9日
<活動内容>
1日目:被爆者の方からの講演
各県交流
2日目:長崎フィールドワーク
長崎原爆資料館見学
3日目:若者・高校生 早朝集会
ここからは、細かく分けて活動内容を紹介します。
被爆者の方からの講演(1日目)
私たちは、山川剛さんから被爆体験を伺いました。
山川さんは、
①戦争中の常識
②あの日(8月9日)
③被爆者の思い
④被爆者の思いは実現するかどうか
の4つを柱にお話してくださいました。
①戦争中の常識
「戦争に行きたくない。」と言うとすぐに捕まり、「お前はそれでも日本人か。この非国民が!」と言われる。思ったことを口に発することもができず、息苦しさの中で我慢しながら絶える。
小学1年生が「鬼畜米英(きちくべいえい)」「ヒノマル」「クニヲマモレ」という言葉を学校で学び、女学生は竹やりをつくって人の殺し方を学校で学ぶ。
「敵は、見た目は人間だけど中身は鬼です。捕まったら最後。鬼につかまるくらいなら、崖から自らの命を捨てろ。」と学校で教えられる。そして、実際、何人もの人が崖から飛び降りたり、自らの命を絶った。
今では想像することさえ難しいことが戦争中は当たり前のように行われていたのです。
②あの日
「原爆が投下された日はいつですか?」
この問に対して、みなさんはどのように解答しますか?
上の質問は、NHKが行った国民調査の問の一つです。
2010年の正答率は 23%
2015年の正答率は 26%
でした。
(cf.)気になったのでこのデータを詳しく調べてみると…
2015年にNHKが行った世論調査にて 広島に原爆が投下された日付について聞いたところ、正答率は 広島で69%、長崎で50%、全国で30% 長崎に原爆が投下された日付について聞いたところ、正答率は 広島で54%、長崎で59%、全国で26%
だったそうです。
この現状に対して山川さんは、
あの日の出来事を「夏の風物詩」として捉えている。
私たち被爆者が体験したのは、夏の風物詩ではない。
と仰いました。
当時まだ8歳だった山川少年は、真夏なのにも関わらず身体が小刻みに震え、「今日で死ぬとかかな(長崎弁)」と話していたそうです。
戦争体験が8歳のまだ幼い子どもに対して「今日で死ぬとかな」という言葉を口に出させてしまうほどのものだったと知って、胸がとても痛くなりました。
あの日、8月9日の原爆投下前、攻撃をしらせるサイレンは鳴らなかった。でも、飛行機の音を聞いた兵隊が「てっきー、てっきー」と言って防空警報を発令した。すぐにまわりの色がすべて消えて、あたりが真っ白になった。数秒後、爆風が吹いた。そして気が付くと、人々は大やけどを負っていた。
山川さんは、あまり感情的にならず、淡々と話されました。
例年250人の生徒がいた小学校で1945年度に卒業した生徒の数は、男子5人、女子9人だったそうです。
250人で入学して、14人で卒業するなんて想像できますか。自分が14人のうちの1人だったら、どんな思いで卒業するのだろう。そんなことを講演中に考え、やりきれない思いになりました。
③被爆者の思い
二度と被爆者をつくらない=核兵器「0」の世界
これが、山川さんの願いです。
自分たち以外に被爆者を増やしてはいけない。自分たちが最後の被爆者になるのだ。
核兵器が残り1つになったとしても、安心してはいけない。その1発で何人もの人が苦しい思いをするのです。だから、「0」にこだわらなければならない。世界に13,130発あると言われている核兵器の数を「0」にすることが、私の願いです。
これを実現するために、声をあげていくの使命だと思っています。
こう話してくださいました。
④被爆者の思いは実現するかどうか
私の願いが実現するのかどうか。
私は、私の願いは実現すると思っています。
山川さんがこう考える理由を教えてくれました。
まず、コスタリカは、軍隊を持ちません。他にも軍隊をもたない国が複数世界には存在します。これらの国から学べば、核兵器をなくすことができると思います。
つぎに、同様にして、中立国だと宣言しているスウェーデンとスイスから学ぶことがあると思います。
最後に、今年(2021年)の1月22日には、「核兵器禁止条約(Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons)」が効力を持ち始めました。小さな成長でも、着実に前には進んでいます。核兵器が悪であるという公的認識を、幼いころから育てることが、核廃絶のバトンを引き継いでいくことに繋がると思います。
こう話された後、私たちは、山川さんお願いをバトンとして受けとり、私たちの世代で途切れさせるのではなく、次に世代に引き継いでいかなければならない。そう感じました。
各県交流(1日目)
山川さんからの講演の後、各県で行っている活動の共有を行いました!
このような形で、各県で作成したPowerPointを使用しながら説明しました。
ここで共有した内容は、いずれ各県での活動紹介として、ブログにあげていく予定なので、是非そちらもご確認ください~
長崎フィールドワーク/長崎原爆資料館見学(2日目)
2日目は雨が降っていましたが、朝から長崎フィールドワークを行いました!
いろいろな場所を訪れましたが、それぞれの場所で説明をしてくれたのは、長崎の平和大使および署名活動メンバーでした。
私たちが被爆者の方から直接お話を伺える最後の世代だと言われ、戦争体験・被爆体験の継承が危ぶまれている中で、高校生が高校生に被爆地の説明をしている姿に感心しました。そして、もらったバトンをまた誰かにパスしたいと思いました。
若者・高校生 早朝集会(3日目)
1945年8月9日、1発の原子爆弾により、長崎の街は死の町になりました。被爆者の高齢化により高校生平和大使の活動意義が大きくなる中で、若者の力で平和な世界を実現していくため、若者・高校生早朝集会がひらかれました。
最初は、原爆落下中心地碑に花を手向けました。
その後、感染症対策のために手袋を装着し、赤いリボンをもつ形で人間の鎖をつくりました。
最後に、長崎の第24代高校生平和大使による「若者・高校生 平和宣言」がありました。
最後に
私は平和大使をさせていただいておりますが、長崎について、広島について、第二次世界大戦について、世界について、知らないことがまだたくさんあると思います。まだまだ未熟で不完全です。でも、不完全だから何もしない、というのも少し違うと思っています。
そのような思いから、このブログを通して、読んでくださる方々に自分の思いや考えを発信しています。この記事が、みなさんが平和や戦争について考えるきっかけになれば幸いです。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
みさと
高校生の僕たちが早急に世界を変えるのは難しいかもしれません。だからこそ、さまざまな人の意見を聞き、平和とは何かを考え、真剣な姿勢で取り組み、心に訴えかけることが大切だと考えます。
この長崎研修を通して知り合った全国の高校生とは、このサイトの運営などを通じてつながり続けています。僕たち全員で常に協力し、みんながいるからこそ学べること、行える活動を今後も続けることで、平和の輪を少しずつ広げていきたいと思っています。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
そう
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