こんにちは、兵庫のみさと、あおい、あんころです!
今回は、「神戸空襲」についてご紹介します。
神戸空襲とは
1941(昭和16)年12月8日の日本軍の真珠湾攻撃(太平洋戦争開戦)から4ヶ月後、1942(昭和17)年4月18日、神戸市上空に、空母ホーネットを発進したアメリカ軍の爆撃機ノースアメリカンB25(ミッチェル)1機が来襲し、市内数カ所に焼夷弾を投下した。B-25爆撃機16機は、同じ日に、東京市、川崎市、横須賀市、名古屋市、四日市市も爆撃し、日本本土初空襲となった(ドゥリットル空襲)。しかし、ここでの被害は本格的なものではなかった。
1944年(昭和19)11月1日、マリアナ基地(サイパン・グアム・テニアン島)からのB29がはじめて日本本土上空に飛来。阪神間の空にB29がはじめて出現したのは、同年12月15日のことである。午前9時ごろ、阪神地区や大阪の上空に偵察を目的とした1機が進入し、神戸市内への最初の投弾は、翌45年1月3日である。
神戸市上空にアメリカ軍は84回現れたが、そのうち神戸(市街地あるいは軍事目標)を第一目標として攻撃した以下の空襲を「神戸空襲」という。
1945(昭和20)年
2月4日(日) (目標:神戸市街地) 東京市街地(1944年11月29日)・名古屋市街地(1月3日)に続く3回目の市街地を第1目標とした焼夷弾による攻撃。3月以降本格化する市街地への焼夷弾攻撃の実験的性格をもつ。
3月17日(土) (目標:神戸市街地) 3月10日の東京大空襲を皮切りに本格化したカーチス・E・ルメイ司令官による大都市に対する低空からの焼夷弾爆撃の第4回目の攻撃。
5月11日(金) (目標:川西航空機深江製作所) 川西航空機甲南製作所(武庫郡本庄村、現神戸市東灘区)に対する精密爆撃作戦として実施。
6月5日(火) (目標:神戸市街地) 大都市市街地への焼夷弾攻撃の一環。爆撃後の航空写真による損害判定により、神戸を以後の焼夷弾攻撃の目標リストから除いた。
8月6日(月) (目標:西宮・芦屋・御影市街地) 御影町・魚崎町・住吉村・本山村・本庄村(現神戸市東灘区)から、芦屋市を経て西宮市・鳴尾村(現西宮市)にいたる地域、いわゆる阪神地域を一つの市街地目標として爆撃。中小都市市街地への焼夷弾攻撃の一つに位置づけられる。
空襲による現在の神戸市域の被害は、戦災家屋数14万2,586戸、総戦災者数は、罹災者53万1,694人、死者7,524人、負傷者1万6,948人という大きな惨禍であった。
写真から見る戦災
焼夷弾の集中攻撃で燃え上がる神戸工業専門学校。神戸市林田区(現・長田区細田町)
爆撃される神戸港。
神戸医大屋上から見た神戸市新開地方面の焼け跡。手前の建物は当時の日赤病院。上部左に神戸タワーが見える。
一面焼け野原の神戸・山手地区。かろうじて回教寺院(手前)と右奥の中山手カトリック教会だけが残った。
戦後、戦争の名残をとどめる壕舎生活。
山の斜面に横穴を掘った「防空壕」の家。
神戸空襲の慰霊碑
神戸の「薬仙寺」には、「神戸大空襲犠牲者慰霊碑」がある。
神戸空襲を記録する会の方々が、昭和50年3月16日に建立された。
薬仙寺の説明には、
「神戸大空襲犠牲者慰霊碑
今時大戦中神戸は空襲により大被害をうけた。なかでも昭和二十年三月十七日・六月五日の大空襲被害は大きく、市街の大半を焼却し多くの尊い生命をうばった。私達市民は二度と戦争の惨禍をおこさない決意をあらたにし、あわせてその犠牲者約一万名の霊の安らかならんことを心から祈念し、遺族市民から寄せられた浄財によってこの碑を建立した。」
とある。
今日私たちが享受している平和が、市井の人々の尊いいのちの犠牲の上にあることを忘れないために、特に被害の大きかった3月17日を神戸空襲の日とし、毎年、薬仙寺で慰霊祭が開かれている。
『火垂るの墓』と神戸空襲
作家、故・野坂昭如さん(2015年死去)は、神戸大空襲の実体験をもとに、1967(昭和42)年に、のちに直木賞を受賞する小説「火垂るの墓」を執筆した。
『火垂るの墓』の舞台が神戸と西宮であったことから、兵庫県神戸市東灘区の石屋川公園には、「火垂るの墓記念碑」がある。
また、2020年6月には、兵庫県西宮市奥畑の西宮震災記念碑公園のなかに「火垂るの墓」の記念碑ができた。
私たちの思い
神戸大空襲から約80年。時間の流れと共に歴史が風化されないように、これからもYouth Peace Messengers等の活動を通して、多くの人に平和や戦争の歴史について考えるきっかけを作っていきたいなと思います。
みなさんも是非、学校での友達や家族と共有して話してみてくださいね。
あんころ
空襲はあまり学校などでは学びませんが、全国で実際に起き多くの人が亡くなりました。
だからこそ、私たちはYouth Peace MessengersというホームページやTwitter、インスタグラムなどのSNSを通じてもっと様々な年代の人に知ってもらいたいと思います。
そして、皆さん自身の平和をもっと考えるきっかけになればと思っています。
あおい
戦争は、広島や長崎だけでなく、全国各地に大きな被害をもたらしました。この記事を通して、日本各地の戦争に関する歴史にも目をむける機会にしていただけたら嬉しいです。
今後Youth Peace Messengers では、他の県の戦争に関連する歴史もご紹介していきます。是非、そちらもご確認ください。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
みさと
出典:
神戸市文書館 米軍資料に見る神戸大空襲
神戸市:神戸の戦災 概要
神戸市:神戸の戦災 写真から見る戦災
総務省|一般戦災死没者の追悼|神戸大空襲犠牲者慰霊碑
総務省|一般戦災死没者の追悼|神戸空犠牲者合同慰霊祭
『火垂るの墓』~清太と節子が見た風景~「戦争は無常、どうしても姿重なって」4歳の幼女はいま…」ラジトピ ラジオ関西トピックス
節子たちの西宮(3)「5度の空襲」市街地のほとんど焼失
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