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ちょっとの関心とちょっとの善意【私の平和観 みさと】

更新日:2021年10月3日

兵庫県のみさとです!

今回は、私の「平和観」について執筆したいと思います。


 まわりの人にちょっと関心をもって、ちょっとの善意をもって接する。妊婦さんらしき人を見たら、押さないように心がける。自分の後に通る人のために、ドアを押さえて開けておく。ものを落とした人を見かけたら、拾って渡す。しんどそうにしている友達を見かけたら、「大丈夫?」と一言かける。LBGTQ+の人と出遭った時に自分の固定観念でいろいろ決めつけず、その人のありのままを受け入れる。この規模をすこし広げて、人間の活動により絶滅の危機に瀕しているケープペンギンの事を考えて、二酸化炭素排出量を減らすために、車より電車、電車より自転車の使用回数を増やす。発展途上国で明日を生きられるか分からない毎日を送っている人たちのために、スーパーでの買い物のお釣りを募金する。プラ袋を飲み込んで亡くなる海洋生物の数を少しでも減らすために、プラ袋は使用せずマイバッグを持ち歩く。このように、まわりにちょっと関心をもって、ちょっとの善意をもって行動する。そして、その規模を少しずつ大きくすることによって、みんなが笑顔で暮らせる状態が、私にとっての「平和」です。

 今、世界では内戦が続いており、貧困、環境問題、人種・宗教・ジェンダーをはじめとする様々なグループ間での意見の衝突が存在しています。また、グローバル化が進み、インターネット技術が進歩している現代社会では、自分の関わりたいコミュニティーとの関わりのみを持つことが可能です。つまり、自分の興味がないグループとは深く関わることなく生活できます。このような状況の中で、私たちは無意識のうちに悪気なく「無関心の壁」をつくって、それによって自分たちを守り、色々な問題から自分を隔離してしまいがちです。「無関心の壁」で分断された世界で、時間は共有していても、自分とは違うグループの人とは並行している別の世界で、全く関わることなく生活している現状があると思います。自分と直接関係がない諸問題に対して関心を持つことは難しいかもしれません。それでも、近くにいる自分以外の誰かに対して思いを馳せることが、遠い場所にいる直接会ったことのない誰かに思いを巡らせること、そして最終的には自分に関係がないと思われる社会問題に関心を持つことに繋がると思います。「愛の反対は憎しみではない。無関心だ。」という言葉がありますが、自分以外の誰かに対して関心を持ち、愛のある接し方をすることが、みんなが笑顔で暮らせる日常をつくることに繋がると考えています。

 自分の「平和観」以外に、平和について考えるときに思うことがもう一つあります。平和は、その概念が抽象的であるためそれを具体化すること自体が難しく、その実現はさらに難しいです。したがって、目の前のことに取り組んでいるうちに、つい平和について考えることがおざなりになってしまいます。しかし、平和という理想状態についてちょっとずつ自分なりに考え、誰かに聞かれたら自分の平和観を部分的にでも表現できる状態を目指さなければ、理想が実現されることはないと思います。高校生の考える平和観なんて、現実を全く無視しているものだ。などの意見も存在すると思います。事実、私はまだまだ世の中の現実を知りません。それでも、いろいろな立場や年代の人が、今の自分が考えられる平和観を自信をもって表現することが、平和の実現に繋がると信じて、この文章を執筆しています。この文章が、皆さんが平和について考えるきっかけになれば嬉しいです。将来的には、Youth Peace Messengers を通して、皆さんの平和観についてお聞きする機会を設けたいと考えています。

 読んでくださり、ありがとうございました。


次は、兵庫のあんころが彼女の平和観について執筆します

是非、そちらもご一読ください!

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